本:白河夜船:吉本ばなな

二冊目の読書は1989年に発表され、映画化もされた吉本ばななさんの作品「白河夜船(しらかわよふね)」。ブログに書き起こすまで存じ上げなかったのですが、2015年に映画化もされていたのですね。

友達を亡くし、日常に疲れてしまった私の心が体験した小さな波、小さな蘇生の物語にすぎなくても、やっぱり人は丈夫なものだと思う。こんなことが昔もあったかどうか忘れてしまったが、ひとり自分の中にある闇と向き合ったら、深いところでぼろぼろに傷ついて疲れ果ててしまったら、ふいにわけのわからない強さが立ち上がってきたのだーー。

心をおおった暗い闇と閉ざされ停止した時間からの恢復を希求した「夜」の三部作。「裏表紙」より

 

それぞれの物語には一人の男性を巡る二人の女性の存在と身近な人の死という共通点があり、その「死」と、生き残った者の心をそっと癒していく「夜」が描かれていました。

 

書評

一. 白河夜船

思いもかけず、「エリカ」に続きこちらも不倫と友人の死が題材だったので、作品の背後に見え隠れする小池真理子さんと吉本ばななさん、それぞれの人柄に思いを馳せることとなりました。( にしても吉本ばななさんの世界は文字に起こして表現するのが難しい…)

物語は、植物状態にある妻をもつ男性と不倫関係にある寺子と、ただ客と添い寝をするだけの奇妙な仕事をしていた友人しおりの死を中心に進んでいきます。

白河夜船(しらかわよふね)とは、何も気づかないほどぐっすり寝入っているさまをいうそうですが、植物状態にある不倫相手の妻、添い寝をする仕事をしていたしおりの永遠の眠り、深い眠りに苛まれている主人公と劇中ではさまざまな「眠り」が顔を覗かせます。

さて、ここで登場する不倫相手と寺子は、エリカや湯浅武彦とは大分異なる倫理観・恋愛観を持っています。たとえば、彼のこんな台詞。

 

女房持ちが恋をしたら、植物人間でなくたってずっしり重いものを背おって会いに来てることには変わらないよ。

 

 

湯浅に聞かせてやりたいですね。

 

また寺子は寺子で、エリカより一回り近く年下の女性でありながら、自分たちの関係についてこんな考察をしています。

私たちはみんな、木の股から生まれたわけではない。彼には両親がいて、彼女にも悲しみに沈む両親がいると思う。突然の不幸に巻き込まれて派生した、たくさんの現実のこと(略)そういうことが確かにあるのだ。 

 

二人の恋や関係にただ溺れているわけではないのです。ここに作者二人の恋に対する姿勢も見え隠れするような気がしました。

二人の間にはなにか淋しいものがあって、それを大切に守るように恋をしている。だから、今はいいのだ。今はまだ。

 

二人の間にあるなにか淋しいもの、それはエリカが思い悩んでいたものであり、ストーカー青年が代弁したようなものだと思うのですが、寺子はその淋しさの正体を知りながら彼に寄り添っていることを選んだ点で、エリカよりもずっと強い女性のように思いました。

 

二. 夜と夜の旅人

二作目は亡くなった兄・芳裕と二人の恋人サラ、毬絵の話。語り手であり、本作の主人公であるのは妹のシバミ。白河夜船の「夜」が夏の夜明けを彷彿させる夜だったのに対して、こちらはどこか郷愁に駆られる、眩しくも切ない冬の「夜」を感じさせる作品でした。

あの時、夜はうんと光っていた。永遠のように長く思えた。いつもいたずらな感じに目を光らせていた兄の向こうには、なにか、はるかな景色が見えた。

パノラマのように。

それはもしかしたら、子供心に見上げていた「未来」だったのかもしれない。あの頃、兄は決して死なないはずのなにか、夜と夜を旅するなにかだった。

 

三. ある体験

遠き日に、一人の男を巡って奇妙な三角関係を築いていた文が、その恋敵であった"ひどい女"春の死をきっかけに心を再生していく話。

前二作に対して、こちらの話は主人公の心の疲れの原因がはっきりしない気もしましたが、三作とも、心の琴線に触れる、静かな心の蘇生を描いた物語だったように思います。

 

落ち込んだとき、失望したとき、前が見えなくなったとき、そういう人生の泥船に乗りこんでしまったときって、こうすれば前に進めるっていう分かりやすい打開策なんてないんですよね。もがけばもがくほど足を取られ、息苦しくなっていったりして。

でも、生きてさえいれば、いつか静かななにかをきっかけに目が覚めて、世界が美しく見える夜が訪れる。そんなことを伝えてくれる作品でした。