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本:スキップ:北村薫

三冊目の本は、平成7年に新潮社より刊行された北村薫さんのスキップ。北村薫さんは直木賞を受賞されている実力派ベテラン作家さんですが、わたしは初めて北村薫さんの作品を読みました (:

冒頭の一文は、第一章の書き出しです。ここからどんな展開になっていくのか、ワクワクさせるようなテンポ感です。

昭和40年代の初め。わたし一ノ瀬真理子は17歳、千葉の海近くの女子校二年。それは9月、"大雨で運動会の後半が中止になった夕方、わたしは家の八畳間で一人、レコードをかけ目を閉じた▶︎▶︎目覚めたのは桜木真理子42歳。夫と17歳の娘がいる高校の国語教師。わたしは一体どうなってしまったのか。独りぼっちだーーでも、わたしは進む。心が体を歩ませる。顔をあげ、<わたし>を生きていく。「裏表紙」より

 

書評

端的にいって、とにかく面白かったです。21年も前に出版され、昭和40年代初めから平成初期にかけてが舞台なので、昭和末期に生まれたわたしかでも、想像がしにくかったり、言い回しの古めかしさが気になる場面もあったりして、多少の取っつきにくさも感じましたが、読み応えのあるストーリーと主人公の心情の描写の鮮やかさにすっかり魅せられました。

 

プロローグは、主人公である一ノ瀬真理子の17歳からはじまります。そこには青春を謳歌している高校2年生の等身大の真理子の日常が、友人・池ちゃんや両親とのやりとりを介して瑞々しく描かれています。しかし、そんな日常は、唐突に、一転します。体育祭から帰宅後、うたた寝をした真理子が次に目が覚めたとき、そこはまったく知らない場所でした。

 

一. スキップ

この唐突さ。これが一気に物語の世界へと引き込んでくれます。

夜、特別なこともなく、いつものように布団に潜り込んで眠る。当然、いつもと変わらない朝が訪れていると思いながら起きた。その次の瞬間、目の前に広がる景色がまったく知らないものだったら。しかも、それが自分の25年後の世界であったら。おとぎ話の世界ではなく、まるで現実の世界にでそういったことがさもありなんと想像させる唐突な書き出しでした。

血の気が引いた。
軽々と二十五年の歳月が流れたのなら、<それ>は無理のないことなのだろう。だが、その歯車は、わたしの知らないところで回ったのだ。そしてーー
そんなことが許されていいのだろうか。わたしは、いわば眠っている間に時に弄ばれてしまったのだ。
時の無残な足し算の代わりに、どれほど容赦のない引き算が行われたのか。

 

見知らぬ世界で真理子はまず初めに美也子という17歳の美少女に出会います。利発で感性豊かな彼女によって、真理子は、外見的には自分が42歳の桜木真理子であること、彼女が25年後の自分の娘であることを理解し、夫とも対面を果たします。 

女子高育ちで男性といえば自分の父親か教師しかほとんど免疫のない真理子にとって、序盤における美也子の役割はかなり大きかったと思います。

一方、ここで気になってくるのは、はたして真理子は25年後の世界にタイムリープしたのか、それとも実際は単に記憶喪失であるのかという点です。もし、タイムリープだとすれば、真理子は元の世界に戻れるのか。そして、この世界の42歳の真理子はどこへ行ったのか。この謎明かしがいかに行われるのか、エピローグまでドキドキしながら読みました。

 

そして、25年後の世界の導入部となる第一章でのハイライトは、真理子が自分の両親を案ずる場面です。

 

「わたし、まず、父と母に会って来たいの」
美也子さんは、闇の中で黙った。緊張した、しんとした、恐いような沈黙の固まりになったようだった。
わたしは、ちらりとそちらを向きかけ、
そして、
ーー悟った。

 

言葉にならない想いがこみ上げてくる場面でした。

 

二. 17歳のこころと42歳のうつわ

第三章へ入ると、真理子は美也子と夫に対してこんな発言をします。

「あの、申し訳ないんですけれど、わたし、あなた方が知っていらっしゃるような、元どおりのわたしには、もう戻れないと思うんです」

真理子としては、あくまで自分は17歳からタイムリープしてきたという心持ちでいます。かたや、42歳の姿をした真理子を目の前にした娘と夫は、いつか、昨日までの桜木真理子に戻るのではないかという淡い期待を抱いていることを真理子も察していると分かる場面です。重い空気で静まる中、真理子は続けます。

わたしは、あなた方の家族だった<わたし>じゃあない。(略)そのうちに今までの役が務められるようになるさ、と思わないで下さい」

 

17歳の真理子に立てば、もっともな、とても共感しうる宣言です。

でも、娘をもつ母親、夫と一緒に家庭を作り上げてきたわたしの視点からは、なんて残酷な言葉だろうと思いました。外見的には昨日まで見知っていた桜木真理子と変わらないのに、そこから発せられる言葉、それはもう別人のそれです。

しかし、その後ろ向きにもとらえられるセリフとは反して、真理子は決して悲劇のヒロインのように振舞い、自分の心に逃げ込んだりはしません。続く第四章では、桜木真理子が国語教師として生きてきた25年間を受け入れる決意を固めます。

いま、42歳の桜木真理子として25年後の世界にいる以上、やること、やれることはきちんとやりたい、もし、そうしなければ、わたしが可哀想だ。その決意にはそんな17歳の真理子の想いがありました。

 

三. やりきれない気持ち

それからの真理子は、国語教師として日々を送るなかで次々と問題にぶつかりながらも一つずつクリアしていきます。同じ学校に通う美也子や、職場は違えど同じ国語教師である夫に助けられることで三人の間にも絆が芽生えていきます。

さまざまな生徒とのやりとりはときに冗長に感じることもありましたが、そのやりとりの中で、いくどか真理子が、自分の居場所が17歳でないことについて苦悩する姿をみてとれます。

真理子の戸惑い、それが色濃く表れるのは球技大会の終わりのことです。真理子の担任するクラスの女子バレーは決勝で惜しくも負けてしまいます。しかし、その白熱した試合をやり終えたことで、生徒それぞれが強い達成感を覚えます。それは真理子も同じでした。

「(準優勝で)残念でしたけど、皆な、放課後にはさっぱりした顔をしていました。ジュースやウーロン茶で乾杯して、気持ちよく別れました」
桜木さんは頷く。わたしは、続けた。
「ーーでも、帰り道、校門を出て、自転車のペダルを踏んでいるうちに、わたしの方はすっきりしなくなりました。どうしてなのか、薄暗い道で、ずっと考えました。そして分かったような気がしました。あの試合の間、わたしの心は、確かにコートの中にいたんです」(略)
「それなのに、一人で風に吹かれていると、ーー<違うぞ>って、意地悪な何かが囁くんです」
「<お前はそこ(17歳)には、いなかった>っていうんです」

祭りのあとの寂しさ。真理子とは同じ気持ちには到底なれないと思いますが、若さに対する眩しさや過ぎ去った時への寂しさは子どもの成長を見守るときの感じにも似ている気がします。

  

読みどころ

物語全体をとおして、ことあるごとに顔をのぞかせるのが真理子の小学校来の友人である池ちゃんです。池ちゃんがここにいたら…そんな風に真理子は何度も想像します。
こんなにその影をちらつかせるのに、25年後の世界へやってきた真理子は池ちゃんになぜ連絡を取らないのだろうとずっと思っていたのですが、エピローグになってようやくその場面が登場します。

 

その電話を受けた時、わたしは受話器を握ったまま立ちすくんだ。一瞬、総てが夢だったのかと思った。

 

再会を果たすなり、いつもと様子のちがう真理子をみて、池ちゃんは真理子の記憶が欠落していることに気づきます。ハムより厚い友情を確認できるやりとりが続きますが、そう思ったのも束の間、さすがの池ちゃんも17歳の真理子がタイムリープしてきたとは信じてくれません。

分かってはもらえない。そうなった者でなければ分かりようのないことなのだ。
気まずい再会になってしまった。 

 

ああ、このまま分かち合えないまま道をたがえるのかなと思ってしまう一文です。しかし、気まずさを残した別れぎわ、二人が耳にした小さな子どもの泣き声をきっかけに池ちゃんは目の前の真理子が42歳の桜木真理子ではなく、17歳の一ノ瀬真理子であることを確信します。

その時、どこかで、小さい子供の、母親を呼ぶ泣き声が聞こえた。
池ちゃんは、ちょっと肩を揺らし、声の主を探すように瞳を揺らした。
「妙なものね。うちの子、もう中学生なんだ。それなのに、ああいう声聞くと、ふっとーー自分が呼ばれているような気がする」

 

この描写からのくだり。この本が出版された21年前だったら、わたしは真には理解できなかったと思います。(北村薫さんはお子さんがいらっしゃるのかな。いらっしゃるのだとすれば結構なイクメンパパだったのかもしれませんね。)

それは17歳の真理子も同じでした。

池ちゃんのその他愛もない一言でこれまで一度として流してこなかった涙が堰を切ったように流れ出します。

 

ーー分からない。わたしには、そういう気持ちが分からない

 

おそらく、真理子と池ちゃんは17歳から先の人生も、付かず離れず一緒に歩んできたのだと思います。真理子がどんな風に美也子を愛し、育ててきたのかということも池ちゃんは知っていたのでしょう。だからこそ、この真理子の一言で池ちゃんは確信したのだと思う。目の前にいる真理子が17歳のあの日「一ノ瀬」と呼んでいた真理子だということに。

ここのこの場面。とにかく秀逸だと思いました。

 

この場面の先、涙なくして読めないクライマックスは是非とも実際にお手に取ってお読みください。

 

人を人たらしめるものは何か。
そして、人との絆を作るものは何か。